長男がすこしずつ字を読めるようになってきた。ひらがなは半分以上は理解するようになってきた。車に乗りながらも、前の車のナンバーをよんだり、目に入ったひらがなを、1つ1つ声に出して確認していく。そうやって一つずつひらがなを覚えていっている。
これまで多くの絵本を一緒に読んできた。その絵本の意味は、僕らの読む「音」と、「絵」で理解してきた。だけれど、すこしずつ「文字」を確認しながら、その絵本を読み始める。そうすると、自力で、その内容をすこしずつ掴みはじめる。本人にとっては、すごく感動的な体験なのではないか?と思ってしまう。これまで、他者に頼って理解していたことが、自力で理解できるのだから。
そんな変化に触れて、「本を読み聞かせる時間」の終わりを感じずにはいられない。何度も何度も同じ本を「読んで!」と言われる。なかなかその要望に応えることが、きついと感じてしまうこともある。読みながら寝てしまって怒られることもる。でも、終わりが見えると、とてもかけがえのない時間なんだ。と思う。
こどもが読んでと持ってくる本は様々だ。(何かにはまっているときは別ではあるが) その選んだ本に、その子の今の状態が反映されていると感じることが多い。調子がいいときは、その時のお気に入りや、長い物語の絵本を持ってくるし、1日疲れて、眠たいだろうな。と思うときや、風邪の病み上がりなどは、とても小さいころに読んでいた本や、シンプルな内容の本を持ってくることが多い。
だけれど、こどもはどんな状態でも、「本を読んで」と本を持ってくる。それは、本を楽しみたいだけでなく、本を通して、親の「声」を聴きたい。そこから力をもらったり、落ち着きたかったり、子どもは声を求めているのだと思う。というのも、この記事を書きながら、こどもが入院した時に、ある人からいただいた励ましのメッセージを思い出した。それは、こんなメッセージであった。
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好きな詩の一節があります。
「はじめるために、諸々の要素の名をあげよう
君の声 君の眼 君の手 君の唇」
はじめに、声が挙げられています。声は力だと思います。
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入院中に病室で、よく子どもと一緒に本をよんだ。そんなときに、いただいた言葉で、妻とともにとても励まされた記憶がある。
子どもが文字を理解し、文字を通して、自分で世界を広げる力を身につけていく。子どもたちはだんだんと、僕らの「声」を頼りにしなくとも、文字を通して、自分を落ち着かせたり、世界を広げていくのだと思う。
「本を読んで」ともってくるのは、この「今」を、誰かの力をかりながら一生懸命生きようとしている。そんな風にも思えてくる。
だからこそ、本を読みながら寝てしまうこともあるけれど、、、少しでも、今届けられる自分の声を、子どもに届けられたらと思った。
