蒲原にあるKITTOで毎週金曜日に、珈琲や紅茶の喫茶スタイルでの出店をはじめている。(概要はこちら)
今週で3回目の開店となる。今週は、珈琲や紅茶のお供に、蒸しケーキを用意した。今回は唯ちゃん(妻)が作ってくれた。




↑写真は毎回、駄菓子ツバメのひろかさんが撮ってくれる(下2枚)
今日もいつものお馴染みメンバーや地元のおばあちゃんたちなど来てくれて、みなさんゆっくり過ごされていた。カウンター席、テーブル席、大広間と、席の種類も様々。子連れの妻とその友達は、大広間でのんびり、おばあちゃんたちは大体テーブル席でおしゃべり、PCでの仕事や絵を書いたりする人もテーブル席で黙々と作業、カウンター席で僕とお話して過ごしてくれる人もいる。
午前中に来たおばあちゃんは、すでに来店3回目の常連さん。午前中にスーパーへの買い物を済ませ、その帰りに寄ってくれる。開店すぐに毎回来てくれるので、毎回ほぼ貸し切り状態である。毎回「隠れ家的でいいのよ~」と喜んでくれている。
今日も来てくれた人が必ずしも多いわけではないけれど、その分一人ひとりの方がゆっくり過ごせる場となっていて、来てくれた方々同士の交流もあったりする。偶然居合わせた人同士がつながって、自分に必要な情報と出会えたり、ふと自分の話を聞いてもらえて気が楽になったりもする。
場には余白があって、その余白に何かが生まれたり、入り込めたりする。その余白によって、僕も支えられたりする。珈琲も注文されてから、お湯を沸かし、豆を挽き、ドリップする。珈琲をすぐに出せるわけではないし、僕も慣れていないのでテンパっていたりする。だけれど、その場にある余白が、僕を落ち着かせる。笑
その余白こそ、この場で自然と提供されているものなのかもしれないとも思う。カウンター越しに話していたなかで、「東京は人が多いけど、本当に出会いたい人と出会いにくい」という話を聞いた。ここは東京とはあらゆる面で、真逆の世界である。
生まれるものがあれば失われるものもある。お客さんが多くないからこそ生み出せているものもある。お客さんがただ増えればいいわけではなく、増えれば失われるものもある。だけれど他の面で得られる何かもある。
「今」の中で、何を与えられているのか、どんな価値がそこにあるのか。その自覚ができるといい。今の中にある価値に気がつけると、世の中の価値基準や他者の価値基準に左右されず、今を楽しみ、今に集中できる気がする。
ということで、次回は、10月25日 10:30-15:00 です。今週もありがとうございました。