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今年ももう少しで農閑期

今年も残すところあと2か月。
畑の作業もラストスパートといったところだ。といっても、毎日農作業をしているわけではなく、週に1日は蒲原の畑で畑作業、別日の2日ほどは自宅の畑で1日2時間ほどの作業時間といった具合で農作業をしている。

収穫では、サツマイモも掘り終わり、あとは菊芋、秋じゃが(ほんのすこし)、大根・カブの間引き菜、みかんの収穫といったとこだろうか。
種まき作業は、スナックエンドウ、ウスイエンドウ、そら豆、大根(蒲原の畑)が残っていて、
定植作業は、できたら玉ねぎに挑戦したい。けれど、育苗に失敗。やるなら購入苗となる。

気温もさがり、日照時間も短くなってきて、少しずつ農閑期が近づいてきている。草刈り作業などが落ち着いてくると、すこしずつ夏を振り返る余裕がでてくる。今年も雨が1ケ月近く降らない時期があったり、残暑が厳しくほぼ秋がなく、なかなか上手に作物に応じることはできなかった実感が大きい。

来年はこうしよう。ああしよう。そういう想いが次々に出てくる。

毎年、来年こそは。と思っていても、うまくいかない日々の連続で、果たして前に進んでいるのか、僕の自然農の力量は上がっているのか?と疑問に思うこともあるけれど、ふと、食卓に目を向けると、自給された作物が食卓にある。昔はそれがとても特別というか、数少ない機会であったけれど、気がつけば毎日1品くらいは食卓に並んでいるような気もする。

そういう成果からみれば、少しずつでも進んでいるのかもしれない。

もっとこうすればよかったという想い、そういう後悔とか反省みたいな想いがいつもどこかにあって、自分の力量を疑うこともあるのだけれど、そもそもそういう想いは、本来、命とかかわる上では自然なのかもしれない。

それは、作物相手に限った話ではない。人との関りあいに関しても同じだ。

常に相手の状況によって、応じ方は変わってくるものなのだろう。だからこそ、僕は相手を感じる必要がある、観察する必要がある、問う必要がある。そのプロセスこそ、命と重なりあうプロセスなのだと思う。だからこそ、相手に応じきることができたとき、そこには喜びがある。応じきれなかったとき、もっとこうすればよかったという想いは必ず生まれてくる。

田畑でも、世の中でも同じことがいえる。これだけ変化が速く、変化が大きい環境だからこそ、これまでどおりは通用しない。僕らの応じきる姿勢が試されている。それは、自ずと人や自然が重なり合う方向へ向かっている。と言えるのかもしれない。

2025.10.28 

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