僕は蒲原という小さな町で育った。僕は今、仕事は個人でしているし、基本的にはリモートでできる仕事なので、これまで蒲原という町は、僕にとっては「生活する町」でしかなかった。だけれど、去年の10月くらいから、週に1回、蒲原で金曜日のKITTOをスタートして、「生活する町」から、「仕事をする町」という要素も加わった。
その要素が加わったことで、「町」のもつ要素が、僕自身に影響を与えたことがたくさんあるように感じる。
つい最近、僕が保育園時代にお世話になった先生たちみんなが、ランチ会をしに来てくれた。僕は中学生の時に職場体験で、保育園に行ったので、それ以来の再会となった。2・3・4・5歳の僕をみてくれていた先生方がこうして会いに来てくれたのは、とてもうれしい機会であった。
その次の週には、同じ「塩坂」の遠い親戚にあたる人が来てくれたりした。ぼくのひいばあばに、とてもお世話になったようで、僕の生まれる前のひいばあばの話を聞くことができたりして、とてもうれしかった。
そのほかにも、僕の両親の知り合いや、姉の同級生とか、何かとつながりのある方々が来てくれたりもする。そういった意味でも、僕のこれまでの経験や歩みを土台として成り立っているわけではなく、僕のおじいちゃんやおばあちゃん、もしかしたらその前のひいばあばひいじいじとか、僕の両親や姉など、そういう人たちが築いてきた関係性、信頼関係、交友関係、、、そういうものに支えられて、今があると感じることが多くなった。
それはやはり、僕と蒲原という町との関係に、「仕事」という要素が生まれたからだと思う。
僕の家が「薬店(やくてん)」と言われるように(年配の方には「薬店(やくてん)の塩坂ですというと、分かってもらえること多い)、昔は地域に根付いてそれなりに商売をしていたように思う。時代の流れの中で、仕事と地域、もしくは仕事と生活の距離がだんだんと離れていった。そのことによる良さだってあるし、だからこそ得られる恩恵だってたくさんある。僕は、そういった恩恵を受けながら、今の生活ができている。
でも、僕が蒲原でこうして少しでも「仕事」という要素を自分の町に持ち込んでみると、それはお金という対価以外に得られるものがとても多いと感じる。と同時に、時代の流れの中で、仕事と地域、仕事と生活の距離ができたことによって失ってきたものの大きさを感じずにはいられない。
失うことを恐れてはいけないように思う。
けれど、失っていることを感じず、気づかず、目を向けず、
前に進んでいくよりも、
失ってしまうもの自覚し、受けいれて、前に進んでいければいい。
蒲原で週一喫茶をはじめて変わったこと