「言葉」によって、僕たちは状況を「掴む」ことができる。その起きている状況というのは、常に一生に一度の出来事であって、その出来事を再現することはできない。だけど、その状況を「掴む」ための言葉はその逆の性質にあり、何度でも使い回しが出来てしまう。
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「事実」ということを考えると、
「事実」の奥深いところには必ず「一回性」という性質がある。
らくだの記録表には「数字」による事実の記録が残っている。
このデータは、二度として浮かび上がらないデータである。
「言葉」を用いて、この「一回性」という性質を浮かび上がらせるのはとても難しい話になってくる。
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「今を生きる」ということは、
「事実」をつかむことでもあるのかもしれない。
「今」とは「この瞬間」のことであり、
「この瞬間」は2度と訪れないものである。
つまり「一回性」である。
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事実を見つめるということは、
「一回性」を掴み、感じ、生きていくことになる。
一回性の世界に生きる僕たちもまさに、
一回性の存在であり、いつも同じ自分は存在しないはず。
いつもいつも自分は、
ずれていくはずの存在なのである。
言葉は時に、「一回性」を忘れさせる。
言葉でこの今ある「一回性」を浮き彫りにさせることは、
とっても難しいこと。
だから、言葉を使って生きる僕たちは、
「一回性」を忘れてしまうのかもしれない。