*誕生~生後2週間*
3/29に赤ちゃんが誕生し、4/2の朝まで助産院で赤ちゃんと唯ちゃんと一緒に
一緒に入院生活を共にした。
赤ちゃんが3/29に15:10に誕生し、
誕生してすぐに、助産師さんが服を着せてくれて
唯ちゃんと一緒にごろごろしながら時間を過ごした。
僕は長いお産にくたびれ、
人目も気にせず、いつの間にか赤ちゃんの隣ですやすや眠ってしまっていた。
そのまま栄養士さんが作ってくれた晩御飯を唯ちゃんと食べ、
生まれた日から赤ちゃんと唯ちゃんと3人で夜を越した。
赤ちゃんはものすごく落ちついていて、
ほぼ目覚めることなく眠り続けていた。
この助産院での入院期間は、助産師さんが在中してくれていることもあり、
入院期間中に授乳の仕方や沐浴の方法、
そのほかわからないことをいつでも質問できる環境であり、
これから唯ちゃんと赤ちゃんと3人で生活していく
準備段階としてもの貴重な時間だったように思う。
生まれた時からすでに、
赤ちゃんとの生活はスタートした。
赤ちゃんのオムツを交換しなければいけないし、
授乳もしなくては、沐浴もしなくてはいけないし、
服も着替えさせなければいけない。
未体験のことが、待った無しで迫ってくる。
生まれたての赤ちゃんにこれまで触れたことすらあまりなかった自分が、
赤ちゃんが誕生したその日から、
ひとりの赤ちゃんのお世話をしてかなくてはならない。
そんな状態の中で、
助産師さんにいつでも質問できたり助けてもらえる入院生活で、
だんだんとおむつ替えや、着替え、
唯ちゃんは授乳の方法などにも慣れていったように思う。
いきなり3人で何もわかららず生活をはじめていたら、
僕と唯ちゃんの心理的、身体的負担はものすごく大きかったように思う。
だからこそ、この入院生活から一緒に生活を始めることができたことは
僕にとっても、ゆいちゃんにとっても、なにより赤ちゃんにとっても
とてもありがたいことだったように感じる。
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赤ちゃんが生まれてすぐ、赤ちゃんへの授乳の仕方を教えてもらった。
あかちゃんがおっぱいを吸う姿は見たことがあった。
だからあかちゃんが「おっぱいを吸う」ということは
あかちゃんと、お母さんのおっぱいがあれば、
普通に行われることだと思ったいた。
だけれど、あかちゃんへの授乳の指導をしてもらうと、
それはお母さんと、あかちゃんの絶妙な関係から成り立っていることなのだと知った。
お母さんのおっぱいから出る母乳は
あかちゃんに吸われることによって、
より作られていくらしい。
あかちゃんも吸い方がだんだんとうまくなっていくらしい。
あかちゃんがお母さんのおっぱいに「ぱくっ」と吸い付く。
そのタイミングや、お母さんのおっぱい、あかちゃんの口のポジション、
すべてが絶妙な関係性の中で成立する。
いままで普通に成り立っているとおもっていたことが、
ここまでお母さんと赤ちゃんが歩み寄り成立しているとは正直驚いた。
そして、その関係は、母乳が出るおっぱいや、
赤ちゃんに吸われても耐えうる乳首の状態、
赤ちゃんの吸う力、
二人の身体を土台に成り立っている。
それはものすごく貴重で尊いことなのだと感じた。
今まで普通に見えていた光景であったけれど、
そんな普通に見えていた光景の奥に
母さん、赤ちゃんの背景にはさまざまな苦労や葛藤がある。
そう知った時、自分の普通に見えていた光景は
とても貴重でかけがえなのない光景に変わる。
これは授乳に限った話でもないだろう。
今の自分には普通に見えていること光景も、
その奥にはさまざまな人の想いや苦労、喜び、たくさんのものが隠れている。
普通の光景というものはなく、
普通の光景と見ている自分だけがいる。
そんな普通の光景が、
かけがえない貴重な景色に変わっていくことは、
楽しさや喜び、嬉しさという言葉を超えて、
より自分の日常を豊かにしてくれるものなのだと感じた。
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試行錯誤の2週間 辛かった2週間
あかちゃんは泣きながらおっぱいを要求する。
口をぱくぱく、首をひねりながらおっぱいを探す。
唇に指を当てると、指をおっぱいだと思い、
ぱくっと吸い付いてくる。そして、舌をうまく使って指を吸う。
その吸う力はすごく力強い。
この力で乳首を吸われるお母さんは、本当に大変だろう。
あかちゃんにとって、おっぱいは自分の命綱のようなものだ。
だからこそ、おっぱいをあげる役割を担うお母さんは精神的にも
さまざまな苦労を抱えざるおえないように思う。
生まれてから母乳は比較的出るほうではあったので、
ミルクは使わずに、母乳のみをあかちゃんに与えていた。
だけれど、授乳時のおっぱいに痛みを感じたり、
あかちゃんがうまく吸ってくれず泣きわめいたり、
母乳による授乳はなかなかうまくいかなかった。
あかちゃんの身体に母乳は足りているのだろうか?
このまま母乳を続けていいのだろうか?
こんなに泣くのだったら、ミルクをあげたほうがあかちゃんにも
お母さんにとってもいいのではないだろうか?
でも、せっかく母乳が出るのであれば、母乳をあげたい。
でもこれって、自分のエゴなんじゃないだろうか?
ミルクに慣れてしまうと、母乳を飲んでくれなくならないだろうか?
あかちゃんが吸ってくれないと、母乳が出なくなっちゃわないだろうか?
乳頭混乱というあかちゃんがおっぱいを吸えなくなることもあるらしい、、、
でも、こうやって悩んでいるうちにおっぱいは張ってくる。
胸が痛くて苦しい。でも授乳時の激痛に耐えるのがつらい。
あかちゃんは泣いて、おっぱいを要求し続ける。
そんな生活が続き、お母さんもあかちゃんの授乳による苦労は続いた。
毎日ラインでも助産師さんが相談にのってくれたり、
助産師さんが家に来て様子を見に来てくれることもあった。
不思議なことに、助産師さんがくると、授乳はうまくいった。
あかちゃんもおとなしくおっぱいを吸うし、
授乳による痛みも和らいでいた。
助産師さんが与えてくれる安心感はすごい。安心感だけではなく、
授乳におけるサポートも絶妙だった。
そんな形で約2週間ほど、母乳メインの授乳生活を続けた。
2週間ほど過ぎた検診で、
授乳の状況と、あかちゃんの体重を助産師さんが見てくれて、
母乳だけではなく、ミルクを足して、
1日7回、1回に約60cc-90ccの授乳を行っていこうという話になった。
今の時期は、授乳の方法を重視するよりも、
あかちゃんの体重を増やすことも重視していくこと。
そして、あかちゃんの乳頭混乱や、母乳の出が落ちていかないように、
ミルクを与えるときは、ストロー方式で授乳していくことや、
母乳による授乳を行ってから、ミルクを与えることなど、
この時期における、授乳の方向性が見えてきたのであった。
この2週間は、母乳を中心に試行錯誤した期間であった。
お母さんも、母乳による痛みだけでなく、さまざまな葛藤を抱えた期間であった。
でも、こうして今の母体の状況、あかちゃんの状況を踏まえた上で、
今の僕たちにとって、適切な授乳の方向が見えてきたように思う。
最初から完全母乳と決めるわけでもなく、ミルクと決めるわけでもなく、
まずはできる形で2週間続けてみて、
さまざまな想いが湧いてきた。
その想いと向き合いながら、
あかちゃんの成長と、自分たちの想いに折り合いをつけていく。
自分たちの想いに折り合いをつけながら、
自分たちの今の状況に応じた形を見出していくことは、
授乳という初めての体験の中で、妻とあかちゃんと僕という3人でできることではない。
助産師さんという存在が間に入ってくれながら、
助産師さんが全てをきめるわけでもなく、
自分たちが体験し、試行錯誤しながら、
適切なタイミングで専門性を生かしてサポートしてくれる。
助産師さんという存在は、
お医者さんとか先生とか何かを教える存在ではなく、
その当事者(お母さん・あかちゃん・旦那さん)の今を受け入れながら、
その声を聞きながら、関係性を調整したり、
方向性を一緒に導いていく、そんなファシリテーターのような存在なのだと感じずにはいられない。
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あかちゃんは、よく泣く。
小さい体から発せられる鳴き声は、
とてもパワフルだ。
そんな泣き声が、可愛く感じる時もあれば、
うるさい!と感じる時もある。
それは、自分の状況によって変わる。
自分の状態が安定していれば、かわいいとさえ思えるし、
自分の状態が不安定であれば、うるさい。と思う。
とにかくあかちゃんはよく泣く存在だ。
そんなあかちゃんが泣いた時、
ミルクが足りてない。オムツ変えてあげなければ。と考えがちだ。
だけれど、泣くことの意味は、ミルクとおむつだけではない。
今晩、授乳を終え、うとうとしているあかちゃんを見て、
よし、今日の夕食をふたりでゆっくり食べられそうだ。と思った。
あかちゃんを、食卓からすこし隠れた所にある
布団に寝かして、夕食をとりはじめた。
すると、間も無くあかちゃんがぐずり始める。
あれ、さっきミルク飲んだじゃん。
おむつも替えたよな。
あぁ、なぜ泣くんだよ。と思う。
だけれど、もう、抱っこしながら夕食をとるのは嫌なので、
食卓の真横の床に、布団もひかずぽつんとただ寝転ばした。
すると、あかちゃんはすぐに泣きやんだ。
寝心地わるそうな床にポツンと置かれているのに、
あかちゃんの機嫌はすぐに回復。
僕と妻の顔やあたりを見回しながら
きょろきょろ一人で時間を潰してくれた。
きっと、ひとりでいるのがいやだったのだろう。
同じ空間にいたかったのだろう。とあかちゃんを見ながら思った。
そして、泣くことの意味を簡単に決めつけてはいけないとも思った。
泣くことは必ずしもミルクの要求でもなく、
おむつの不快感でもない。
その時、その時のあかちゃんの泣き声に耳をすまし、
泣き声の意味はわからなくとも、
泣き声の意味を決めつけない。そんな姿勢も大切だなと感じた一コマであった。