[金曜日のKITTO]カウンター越しにinterview
午前中に、貨物列車の運転手の仕事をしている友達が来てくれて、仕事の話を聞かせてもらった。自分は車を運転する。けれど、車ではなく電車、そして仕事としての電車の運転士という仕事内容はとてもハードなものなのだと知った。
勝手なイメージで、運転席からの景色はひらけていて、それを堪能できていいなーなんて思っていたけれど、実際に話を聞くと、運転中にやっていることは、電車の操縦だけでなく、安全確認をはじめ、あらゆることを同時処理しながら運転していることを知った。一人で運転できるようになるまでにも、試験や訓練など道のりは長いようだ。
見習いの時は、その運転中の同時処理が難しくて、頭の中はとても忙しかったそうだ。でも、今となっては慣れて、景色をみる余裕もあるそうだ。
これが「習得する」ということなのだと思う。らくだメソッド(僕が学んできた学習方法)(僕が長年お世話になっている井上さんの記事をシェアします)でもそうである。「できるようになる」ということは、「理解する、わかる」といったこととは別次元の話なのだ。運転の仕方はきっと理解している。わかっている。でも、最初のうちは、その理解していること、わかっていることを同時処理できない。理解して、分かっていてもできないのだ。
でも、それをやり続けて、慣れていけば必ずできるようになる。習得するということは、そういうことなのだと思う。
電車の運転に限らずとも、算数の計算だってそうだ。子どもに算数を教えるとき、この「分かっているのにできない状況」は当たり前におこる。話してみると、計算の理解はできているのに、いざ問題を解き始めると、ペンが止まって解けなくなる。そして、そのできない理由が教えている側には分からず、教える側は「なんでできないの!?」「まだ分かってない!」とより教えてしまうパターンはよくある光景だと思う。
たとえば、3+4=7。りんごが3個、りんごが4個、合わせると7個になる。という足し算の理解ができていても、この計算を処理するのに、指で数えて、時間をかけてできる場合と、考えず、身体が直感的に7を導いてできることもある。多くの大人は、考えなくとも直感的に7が思い浮かぶだろう。
頭で解くのか、身体で解くのか。その違いがある。頭で解いている場合は、まだ理解の段階。身体で解くことが習得の段階なのだと思う。
そして、習得の段階まで行けば、余裕がうまれる。それは運転でいうと景色を楽しんだり、新たに意識を向けることができる。そうすると、また新たな世界が広がっていく。習得は今いる世界から広がりを生むことなのだと思う。だからこそ、習得までやり続けていくことの大切さ、面白さを感じる。
そのためにも、①何かを理解することと、できることは別次元であること ②はじめのうちはできないことが当たり前 ③できないことを続けられる環境づくり が何よりも大事になってくるのではないかと思う。


今日は午後から、蒲原で新たに立ち上がったプロジェクトである、庵原みらい新聞のミーティングがKITTOで行われ、そのミーティングの様子がTVカメラに取材されたため、午後は記者さんやプロジェクトメンバーが集まったり、地域の方がお友達と珈琲を飲みに来てくれたりして賑やかな午後の時間となった。来てくださった皆さん、ありがとうございました。
次回は、1/24(金)の10:30-15:00(LO.14:30)でオープン予定です。よろしくお願いします。