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2026.Feb
2026.03.02(Mon)
- じゃがいもを植えた。今年は、あまり学んだことにとらわれず、とにかく自分が畑に立って感じたことをまずは大切にして、栽培に取り組んでみようと思っている。今日は、「どの畝にじゃがいもを植えるか?」ということについて、なかなか答えが出せずにいた。スコップで畝に切り込みを入れて、湿りぐああいを確認したり、土寄せの土をどうするか。と考えたりして、なかなか決められずに時間が経過した。
でも、最終的には、「作業が楽にできる畝」に植えればいいんだ。と思って、宿根草が少なくて、植穴を簡単に作れるような草が生えている畝に植えることにした。結果はどうかわからないけれど、「楽にできる」ということは、1つの指標になるのではないか。という感覚が芽生えた。これでうまく栽培が進んでいったら、なんだかすごい気づきを得たのではないか!!!と思ってしまう。今後の経過が楽しみである。
2026.03.03(Tue)
- こどものおねしょがここ最近増えている。昨年の運動会の前には、毎日のようにしていたが、運動会が終わってからは、なくなったのだけれど、ここ最近はよくおねしょをする。ここ最近の気候の変化や、4月の進級にむけて、気持ち的にもどこか力が入っているようだ。普段はあまり言わない不平、不満も言うようになっている。本人は、まだ自分が抱えていることを明確に理解できていないし、言葉として表現することもできない。だからこそ、さまざまな方法で、自己を保っているように思う。僕にはできることとできないことがあるし、ただ近くで見守ることができることの1つである。きっとこういう時期を乗り越えてまた、大きく成長していくのだろう。
2026.03.04(Wed)
- 友だちが、自然農の畑に遊びに来てくれて一緒に作業をした。僕の畑は耕していないし、慣行農法のようなやり方とは遠く離れているし、僕自身がまだまだ田畑に応じる力がないのだけれど、せっかく一緒に作業できる機会ができたので、自分の伝えられることは伝えて作業をしようと思った。誰かに自然農のことを、実際に畑に立って伝えた初めての機会だった。実際に一緒に作業をしてみると、野菜の知識のことだけでなく、身体の使い方や、農具の使い方、何をどうみるのか、、、その切り口は無限にあるように感じた。まだまだ伝えられることは少ないけれど、伝えようとする気持ちを持つと、自分自身が鍛えられるのだと感じた1日であった。
- 書き留めたい言葉 【Mikako 自然農と自給暮らし】より
しっかり食べて、しっかり生きる。 大切ないのちなので、丁寧に食べて、丁寧に生きる。 謙虚に食べて、謙虚に生きる。 美味しく食べて、楽しく生きる。 堂々と真っ直ぐに。
2026.03.06(Fri)
- 今日もKITTOにみんなが集まった。集まってくれることの喜びがある。来てくれるっていうのは、本当にその人自らの想いがあるから。それがうれしい。そういう想いがあれば、どんな人同士でも、きっといい場ができるのだとおもう。
- 今日は次男の2歳の誕生日。手作りのパンに水切りヨーグルトと果物でミニケーキを唯ちゃんがつくった。去年の誕生日はろうそくの火も消せなかったけど、もう上手に吹き消した。そんな姿をみながら、長男の2歳の誕生日を思い出したりもする。あたりまえのことだけど、似ているところもたくさんあれば、似ていないところもたくさんある。
こうやってみんなで祝えることは、とてもうれしいことだ。
2026.03.07(Sat)
- 家で戦いごっこやら、色々あそんだり、近所を散歩したりの1日。こどもって、常に動き回っていて、どうしてあんなに元気なのだろうか。大人は余計なことで疲弊しているのかもしれない。
2026.03.10(Tue)
- いつでもどこでも仕事ができる、連絡がとれるから、コミュニケーションがしやすくなったわけではない。人と分かり合えるようになったわけではない。むしろ分かり合えなくなっているのかもしれない。相手との関係を深めるうえで必要な情報は、お互いがすり合わせる中で初めてみえてくる。だからこそ、効率のよい情報交換では、関係性は深まらない。必要なことは、相手と向き合うこと、相手の話を聞くこと、相手に疑問を投げかけること、相手に自分の想いを伝えること。その時間と空間がなければ、関係性は深まっていかないのだと思う。
- 長男が上手にお箸を使って、小さい食材を掴む。お箸を毎日使うこと、これはかなり手先が器用になるんじゃないかって唯ちゃんと話していた。お箸を使う文化と手仕事とかってつながっていそうだと思った。
2026.03.13(Fri)
- 多くの人が、AIをつかうようになってきた。AIを使う上で大切なのは、こちらの入力=問いかけ である。自分の問いを確実に人工知能に理解してもらわなくてはならない。人工知能にどんな情報を与えてなければいけないのか?どんな言い回しが必要なのか?そういったことを考えながら入力する。人工知能をより活用しようと思うと、そういった問うプロセスが必要となる。これは、言い換えれば人工知能の立場に立っていることなのだと思う。
だけれど、どうだろうか?僕たちは、人工知能でななく、生身の相手と対峙した時に、そこまで相手の立場にたって問うことができているだろうか? きっとそこまでできていないように思う。それは、相手を意識しすぎて、問うことにブレーキをかけてしまったり、逆に、相手は理解してくれているという根拠なき信頼などが邪魔していることもある。
人口知能とのやり取りの中で、僕たちは問う作業を、これまで以上に行いやすくなってきたように思う。そして、問う力もまた鍛えられているかもしれないと持ったりもしている。その能力が、生身の人間同士のコミュニケーションをよりや豊かなものへと導いてくれることも考えられる。そんな期待を抱いた。
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