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2026.JAN
2026.1.8 Thu.
- 生徒の表情がこれまでにないくらいよかった。それだけで、なんだかよかったなと思った
- 相手の悲しみははかりしれない。どんな言葉をかけたらいいのだろうか。と考えたけれど、相手はいつもと変わらない人、場所も必要としているに違いない。その瞬間だけ忘れられる、離れられる。自分が声をかける必要がないと感じれば、無理に書けなくていいのだと思った
- ボードゲームやトランプゲーム、順番がぐるぐるまわっていく。そんなとき、次○○ちゃん、次○○、と自分の名前やニックネームをまわりのみんなから呼ばれる。それだけでも、きっと大きな受容感が伝わっていく気がする。自分が安心できる場で、同じ時間を過ごす他者に、自分の名前を誰かに呼んでもらえることって、とても大切な何かが伝わるというのか、呼ばれた本人から湧き上がってくるというのか、そんな感じがする
- 記録しておきたい言葉
方条 遼雨(FB投稿)
【手段】「目的」にはいくらでも美しいこと、正しいことを並べ立てる事ができる。しかし、「手段」には本性が現れる。
2026.1.9 Fri.
- この部屋は光がよく入る。朝はこっから、昼になればあそこから、そうやって光が入る部屋、入らない部屋がある。部屋も不平等の世界
- 自然災害による対策はさまざまである。でも、女性の月経による心理的精神的な不調も自然災害みたいなものだ。だけれど、その不調への対策、ケアはどれほどこの社会のなかに存在するのだろうか。きっと女性ひとりに重くのしかかる。人間観、自然観の変革が、働きやすさ、生きやすさにつながるだと思った
- SNSの反応のたのしさとは何だろう。久しぶりにブログの記事をアップしたら、その記事の内容に対して、長年の友だちからリアクションがあった。その反応に対してうれしさを感じた。それは、その人の内的世界からの反応であった気がした。その人の、どこからのリアクションなのか。によって、SNSの反応に対する嬉しさは異なる。
- 俺は自分を、僕というのか、俺というのか、どっちがしっくりくるのか?それは、俺とか僕という一人称を向ける相手によって変わることを今知った。みんなそうやって無意識に使い分けているのだということを今自覚した。
2026.1.10 Sat.
- おばあちゃんの三回忌、お経後に住職のはなしをきく。住職も病気とか、老いとか、死ぬことへの怖さとか、恐れがあるらしい。でもだからこそ、念仏をとなえる。僕は恩師や、これまで読んできた本と考えると、親鸞の影響を大きく受けているに違いない。あらためて、浄土真宗ってやさしいなと思う。
- しょうごくんの「さうんどとれいん」に癒された。電車の音がいい。電車に乗ると眠くなるのは、こういう音もおおきな要因なのだろう。毎日電車に乗って中高通っていた。毎日無意識にその音を聞いていた。身体が記憶している。記憶というのはそういうもの。身体がたくさん記憶している。呼び起こしたい記憶、呼び起こしたくない記憶も。
- 長栄寺(ちょうえいじ)に蝋梅(ろうばい)が咲いていた。この2つのワードがなかなか覚えられない。
2026.1.11 Sun.
- 朝から強風で、洗濯物がとんだり、ごみ箱がとばされたりした。怖いほどの強風であった。
- 息子がゲーム解説のYouTubeにはまっている。なかなかその面白さは理解できないけれど、「セキュリティ」とか、ゲーム内で出てくる言葉を使いながらのごっこ遊びも盛り上がってきている。今日は長々と、セキュリティごっこに付き合った。家の中にセキュリティをかけたエリアをつくって、そこに弟やぬいぐるみを持っていき守る。僕はそのセキュリティに侵入する悪者役。たまにセキュリティにかかったり、息子をセキュリティの外へおびき寄せて、一気に侵入したり、息子を捕まえて、戦ったり。なんだかよくわからない状況だけれど、なかなか白熱した時間となる。戦いごっこが相当好きな模様だ。
2026.1.12 Mon.
- 城北公園にいった。静岡市中央図書館も併設されていて、公園で遊んでから、図書館へ。城北公園の公園の雰囲気も、図書館の雰囲気もとても好きだ。公演はいい。散歩している人や、遊んでいる人、弁当を食べる人。それぞれが自分の時間を過ごしている。だれからも強制されたりすることもなく、その場には多種多様な価値観が混在する。その空気間が好きだ。図書館もきっとそう。いろんな本があることは、それを意味する。
この場にスタバができるとか、できないとかいう話が数年前にあがったような気がする。絶対にできてほしくない。そうなった時点で、なにか、1つの巨大な価値基準が存在してしまうきがする。それに群がる人も増え、この空気はきっとその力にかき消されてしまうような気がするのだ。
公共の場というものは、そういう場であり続けてほしいと思う。
- 毎日書くと、今日はあんまし特大な気づきとかなかったな。とか思うけど、毎日そんな発見、気づきの毎日だと、逆に気づく楽しさ、喜びが減るのかもしれない。とか思ったりする。こういう何気ない日々の積み重ねが、大切な気づきを得る瞬間につながっているのかもしれない。
2026.1.13 Tue.
- 次男が食事中に椅子から飛び出ようとしたりして、落ち着かない食事の時間が続いていたのだけれど、今日ふと食事をしていると、そういえば最近すごい落ち着いて食べるようになったよね~~ということに気づいた。落ち着いて自分たちの食事をとることもできずにいたのだけれど、ここ最近はなんだか落ち着いて食べているような気がする。変化って意外と気づかなくて、大変だったことも、自然と大変でなくなっていたりする。大変な時は、どうにかならないかなとはやくこの状況を変えたい想いが募るのだけれど。気づいたら変わっていた。それって不思議だなと思った。
2026.1.14 Wed.
- 今日は午前は家の裏の畑で作業。古い家を借りているので、昔から使わなくなった不要物が倉庫にたくさんあるので、それを整理したり、畝を整えたりした。唯ちゃんと次男坊が畑に遊びにきて、一緒に話しながら遊びながら時間を過ごした。次男坊と一緒に畑に座ってみかんを食べた。つい最近まで長男と過ごしたこの時間だったけど、次男坊と同じ時間を過ごしていた。この時間がとても好きな時間。
- 仕事の料金設定はむずかしい。僕の仕事的に、この仕事はいくらなのか?を自分で決めないといけないし、見積もりも自分で決めて提示しないといけない。関係性が近い場合こそ、プラスで仕事が発生した時には見積もりもなく、あとから請求することも多々ある。自分の中では、仕事の量や仕事の種類によって、それぞれの案件で納得できる金額が毎回イメージできるけれど、それが相手にとってどうなのかはわからない。それをしっかりと伝えるために、自分の請求したい金額の内訳を請求書に落とし込む必要があるのだとおもう。請求書は、単なるお金を請求するための紙ではなくて、自分がやったことを詳細にまとめ、相手と相互確認、必要によっては相談するためのものなのだと思った。
2026.1.15 Thu.
- 心に残った言葉(島の自然農園YouTubeチャンネル)
人の一喜一憂に付き合いすぎない
- 頑張ること、夢中になること、そうすることでつらすぎる現実からすこし離れられる。そうすることが、つらすぎる現実を受け入れながら進んでいく方法でもあるのかもしれない。時間によって癒えていく。いつかその現実を肯定し、本当の意味で前に進んでいくときがくる。
2026.1.16 Fri.
- 今日は毎週1回の金曜日の週一喫茶営業の日。この日は、こども園に長男を送ってから蒲原のKITTOまでいくことになる。朝からこどもの朝食や、出店のための準備、お昼ご飯を用意して、出発する。毎回息子を送り届ける時間ギリギリになってしまい、ばたばたしまくって、心も落ち着かない。昨晩は、事前に出店の準備や、来る前の荷物の積み込みの準備、子どものこども園の支度や、朝食の準備など、寝る前にやれることのことを最大限にやって、朝を迎えた。すると、どうだろう!今までにないくらい、朝の時間にゆとりがあるではないか!!今まで、どれだけ事前の準備を怠っていたかがわかる。小学生のころ、明日の支度をしてから寝たように、やっぱり事前の準備、段取りが重要なのだ。その準備は、僕だけでなく、唯ちゃん、子どもにも影響する。平和な朝は、寝る前の準備によってもたらされる!
- 今日の週一喫茶も、色々な方が出入りしてくれて面白かった。20代から80代まで入り混じる不思議な空間だ。今年に入って、KITTOもまた新たな動きが生まれている。ひとりの何かが動くことで、本当にさまざまな動きが生まれてきて、新たな流れが生まれはじめる。ひとりの力の大きさをとても感じる。その ひとり のもつ力はすべての人ひとりひとりにある。その力をもちろん僕自身も持っている。それって、自分だと意外と気づけないし、忘れがちである。でも、本当に、ただ自分がいるだけで、日々を生活して、自分の感じるままに、進んでいくだけで、流れが生まれる。それは自分を超えて、関わる人々に新たな流れをもたらす。だから、目の前にいる人、そのひとりの人の何か進んでいくこと、動き出すことって、すごい希望だし、うれしいことなのだと思う。
2026.1.17 Sat.
- 今日は小さな朝市で蒲原へ。つばめ制作社が企業部門で賞をいただいたということで、今日はそのお祝いの会も朝市内で行われた。いつも以上に人があつまって、みんなで音楽を楽しんだ後、授賞式という流れであった。会場では、「おめでとうございます」という言葉がたくさん聞かれた。地域の文化財を守るおばあちゃんたちが、赤飯を持ってきたり、お花屋さんがお祝いのお花を持ってきたり、祝福ムードの朝市となった。「おめでとう」って言葉は結婚式とかもそうだけど、やはり気持ちを明るくさせてくれる。そして、みんなでその日の「場」に対する共通認識ができるためか、場に流れる空気間も明るくなる。
受賞ときくと、誰かから評価されているという印象を受ける。けれど、朝市のように、誰かの評価を求めるわけでもなく、評価を気にして進んでいくのでもなく、ただ自分たちが価値のあるものだと思っていることを大切にしていく。その結果として、誰かがよき評価をしてくれる。本来はそういうものなのだと思う。他者評価よりも、自己評価。でも、他者評価を否定するわけではない。他者評価が、また新たなつながりやきっかけ、広がりを生むことは間違いない。そして、自己を見直す機会にもなるだろう。
「他者から評価されること」とどう付き合っていくかは、人と関わりながら、どこかに属しながら、誰かと関係性を築きながら生きていくうえで、きちんと考え抜かなければいけないことだと思う。
2026.1.18 Sun.
- 今日はこれを書きたいなってとか、書こうかなって思う瞬間があって。でも、いざ夜になってこうやって書こうとすると、その書こうと思っていたことが出てこない。ほんとうに出てこない。そうやっていろいろなこと忘れていくのだと思う。これがいいなとか、これが嫌だな。とか、喜んでくれたなとか、傷つけちゃったなとか。次はこうしようとか、こういうこと大事にしていこうとか思っていても、きっとそのほとんどは忘れてしまっているのかもしれない。その衝撃が大きければ、忘れないのかもしれないけど。深く傷ついたり、大きな喜びがあれば忘れないだろうし、そこから変化して変わっていけるのかもしれない。けどそれだと、傷つかなければ、大きな衝撃がなければ変われない。ってなってしまう。だから、本当にこの日常の些細なこと、自分が感じたこと、思ったこと、気づいたことを少しでも留めて、工夫をして、そこから変化していく。もしくは変化せずとどまる。そうやって進んでいくためのツールにこのブログはなると思っている。
2026.1.19 Mon.
- すこし春が近づいてきた気がする。畑の種を準備したり、すこしずつわくわくしている自分がいる。
- 伝わるタイミングが必ずある。それは、いつでも伝わるわけではないという自覚があるから信じられる。
2026.1.21 Wed.
- 昨日は寝かしつけをしながらそのまま寝てしまって、0:00過ぎに目が覚め、そのまま寝てしまった。こういう日もある。だけれど、その前の日に、遅くまで起きてうだうだ時間を過ごしてしまったことが原因のような気もする。
- ここ最近、CDで音楽を聴くようになった。きっかけは、父がCD音と、サブスク系のデータ音の違いを聞かせてくれたことがきっかけである。CD音は、いろいろな音が含まれていて、聞いていて疲れない感覚がある。そのほかにも、とっかえひっかえ聞くことができないので、落ち着いて聞くことができるような気がしている。メルカリで買った、ドックワトソン、金延幸子、サニーデイサービスが届いて、今日は送迎の車内で聞いた。なんでも、クリアな音、とか、無駄を省いてより鮮明に聞こえたり、見えたりすることの良さの方向にさまざまなことが流れている気がする。何事も、本当は雑音がある。エントロピーは増大するように、かならず不秩序なものが生まれるのが自然なのだから、自然の音が疲れない、自然に入ってくることは、やっぱり自然なことなんじゃないかな?と思ったりした。
2026.1.22 Thu.
- 勉強を通して、人にふれる。誰かとやりとりする。安心を獲得する。間違える経験をする。できなかった自分をさらけだす。わからないことを、分からないと聞く。勉強を通して回復していく、学べることがある。
2026.1.24 Sat.
- 地域活動の魅力は、決して同じ土地に住んでいなければ関わらないような人たちと関われることだとおもう。趣味も、志向も異なる人たちと同じ時間を過ごす。その面白さがある。自分はまだ経験が少ないので、教えてもらうことが多い立場である。その時に、さまざまな関わり方を学ぶ。距離感や、声かけ。いろいろな関わり方があった、それぞれの立場や、人柄、さまざまなものがそこには反映されている。
2026.1.24 Sun.
- 朝からこどもと餅つき機でお餅をつくる。そのあと、車の洗車をした。どんなことでも、一緒にやると楽しい。車の洗車をしながら、子どもたちは、ホースと傘で水遊びをしていた。寒い中でも楽しそうであった。自分もやりたいことができて、かつ一緒に時間を過ごせて楽しかった。そのあとは、あさはた緑地公園へ遊びにいった。子どもたちを連れ出していると思っているけれど、こういう時間は与えられているものなのかもしれない。と思ったりする。子どもがいなければ、こういった時間の過ごし方はしないだろう。15:00ごろから、急に風が強くなった。一気に寒くなった。風が吹くと、さむくて嫌だったけど、なんだか3人のテンションがあがった。
2026.1.25 Mon.
- 家の2階でデスクワークをしていると、1階からこどもの声が聞こえてくる。もうすぐ2歳になる子が、なんだかずっとしゃべっている声が聞こえてくる。姿が見えない分、ぼくもいつも以上に声をよく聴く。今日は、「まま、ちんちん、ぱんぱん」って何度も言っていた。「おむつがぱんぱんだから替えて」という意味だ。何かを制限されると、いつもとはまた違ったことが見えてくると同時に、いつもなんとなく聴いていることにも気づいたりする。そう思うと、制限されることって、不自由になることでもないし、むしろ自由になることでもあるのかなとも思う。
2026.1.28 Wed.
- 久しぶりに蒲原の畑へ。河津桜は咲いていた。梅の花も少し咲いていたりして、春が近づいてきている気がした。周りの木々を切ったり、かぼちゃの鞍づきをしたり、畝の修復作業をしたりした。自然農の畑で作業している時間は、とても楽しく休むことを忘れる。すべての作業が楽しい。それが今を生きているというのかもしれない。
2026.1.29 Thu.
- 新聞の記事を毎月書くわけだけれど、どういった視点、どういった立場、どういった内容にするかに毎月行き詰ることがおおい。ただ、それは順調な過程であり、これまでになかった視点から、人や町や物事をとらえているからである。むずかしさは避けるべきではなく、むずかしさの中にいられる自分を育む機会だとおもう。
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