2025年もあと数日となったので、今年中に今年の振り返りをしておこうと思う。振り返りの方法としては、1年間に書いた記事を再読、1年間のスケジュールカレンダーを見直し、インスタグラム、フェイスブックの投稿をそれぞれ見返しながら、自分の中で印象的だった出来事や記事を通して感じたことを中心にピックアップし、それぞれを振り返っていこうと思う。
(追記)と書いておきながら、年末に書ききれず、新年を迎えてしまった。そして、年始に息子の胃腸炎をもらいダウンし、無事回復して、1/8に書き終えた。なので、以降の文章は、「今年」ではなく「去年」という表現とした。
・1年で深まる関係性
KITTOで開いている、「金曜日のKITTO」で毎週のように来てくれる人がいたり、KITTOに住まわれている人、オフィスとして利用されている人など、毎週もしくは隔週ぐらいの頻度で顔を合わせる関係性ができた。これは、僕にとってはとても大きな変化であった。静岡に帰ってくる前は、らくだメソッドという計算プリントを主軸とした「寺子屋塾」というところに通っていて、毎週のように寺子屋塾を通して、塾長の井上さんや、そこで学ばれている方々と顔を合わせる機会があった。学生時代のように、毎日会う関係性や、約束をしなくても会える関係性というのは大人になると珍しい関係性のように思う。
意外と、自分自身のことも、自分ひとりだと忘れていることがあったり、目を背けていたりすることも、定期的に会う関係性の中に身を置くと、相手が思い出してくれたり、質問してくれたりして、改めて向き合う機会が生まれたりする。そういった意味でも、人とのつながりが増えるだけでなく、人と会う頻度が変化することも、大きな変化を生むように感じた。

・書けない、書きたい 思いが僕は強い
この1年間のこの自分のブログを振り返ってみると、「書けない」とか「書きたい」という想いが自分の中に多くあるように感じる。それだけ自分自身が、これまで書くことによって、気づきを得たり、気持ちをいやしたりしながら、書くことによって僕自身が助けられてきた経験が背景にあるからなのだと感じる。それは、「書けていた過去」と相対的に今の自分の状況を見てしまっているのかもしれない。
この数年の現状として、なかなか書くことができない数年が続いている。ただ、書けない数年が続いても、これだけ自分が書きたいと思う要因の1つには、きっと日々の中に行き詰まりや葛藤状態にある事柄が多く存在するからなのだと思う。仕事のこと、子育てのこと、時間のこと、お金のこと、人間関係のこと、書き始めたら尽きない、、、 こうして自分の今を改めて振り返ってみると、昔の「書けていた自分」よりもいろいろなことが複雑化してきているし、間違えなく5年前よりも自分の置かれている状況は複雑化しているように思う。だからこそ、書くことが必要なのだと思うし、書くことによって複雑化した今をもっと明確にクリアに把握できるのだと思う。「書きたい」という自分の想いから目をそらさず、それは「書けなかった」という想いから目をそらさないことなのだとおもうけれど、そういった思いを大事にしながら、思考錯誤しながら進んでいけたらと思う。たぶん、それが僕にとっては、とても小さいようでとても大きなことなのだと、今ここで書いていて思う。
・2拠点の生活スタイルができてきた
実家の蒲原と、住まいのある両河内の2拠点での生活スタイルができてきた。家族の協力も得ながら、金曜日のKITTOや畑の作業など、蒲原でも両河内でも人とのつながりを感じながら、助けてもらいながら生活できていることに感謝!!
・オーブン、洗濯機、車の故障
昨年は、いろいろなものが壊れたり、直したりする1年であった。長年使っていたオーブンも故障し、夏には車も故障し買い換えた。家は縁側の修繕を依頼したり、僕の両親は、祖父母の住んでいた家を大規模なリフォームをした。そのあと、実家の水道管が壊れたりと、、、立て続けにいろいろなことが続き、次は何が起こるのか、、、、と不安になったときもあったほどだ。
そんな流れもとりあえずは落ち着き、日々落ち着いて生活できることのありがたさを感じる。
・金曜日のKITTOをはじめて1年を経過 KITTOも1年で大きく変化
金曜日のKITTOの話題は、これまでも触れてきたと思うけれど、この「KITTO」という場所もこの1年で大きく変化した。オフィスとして部屋を借りる人が出てきたり、住まいとして部屋を借りる人も生まれた。現在は、若者2名は住んでいて、とてもおもしろくあたたかい場がうまれている。そんな住人の人柄にほれ込んで、僕の週一喫茶に足を運んでくれたり、KITTO住人が僕の提供する珈琲のおまけに、フルーツの盛り合わせをお客さんに出してくれたり(笑)! 昼食をみんなにふるまってくれたり(笑)! そんな日々を振り返ると、「KITTO」という場所の変化や「KITTO」という場所に関わる人々の変化の中に僕自身もいるのだと感じることが多い。
そんな風に思うと、僕のこういった喫茶のスタイルも、必ずしも僕自身が決めて、デザインして進んでいるのではなくて、周りの人との関係性の中で、誰かが提案してくれたことがきっかけだったりすることがほとんどであって、「僕が決めた」と100パーセント言い切れることはないのだと思う。だから、自分でも、今こんな形で「金曜日のKITTO」という場の成り立っていることは想像もできなかった。
何かを自分で決めて、そこに向かって突き進んでいくスタイルではないけれど、人の変化を感じ、自分も変化する。決して無理せず、自然に沿い、応じる。そうすれば、自分でも想像できないところに流れていく。そんな進み方もいいなと思う。だからこそ、いつも自分へも他者へも場所へも意識を向けて、感じて進んでいきたい。


・AIの躍進
昨年は、ChatGPTをはじめ、AIが僕たちの日常生活にかなり入り込んできた年だった感じがする。ChatGPTだけでなく、動画や画像生成なども多くの人が利用しはじめて、AIによってつくられたものに触れる機会がとても多くなった。その良し悪しはさまざまだけれど、どちらか一方を否定せず、両方に触れながら自分の距離感で活用し関わっていけたらいいなと思う。それも簡単なことではないような気もするのだけれど。
僕自身は自然農での食糧自給を、日々のくらしの中で実践している。その畑で感じる時間的空間的感覚と、AIなどを通して感じられる時間的空間的感覚の差異が、自分自身のバランスをなんとか整えてくれているようにも感じる。僕自身が自然農をここまでやりたいと思う気持ちの背景には、この変化の速い世の中で、自分自身を保ちたい気持ちや、その世の中へのちょっとした抵抗みたいな気持ちもあるのかもしれない。と感じている。ただ、この後のテーマで記載するつもりであったが、変化のスピードが激しいのは、AIなどのテクノロジーだけでなく、自然環境の変化もものすごい。この変化にあらがうことこそ難しく、その変化を受け入れて、応じていくしかない。もう自分自身も変わっていかなければいけない。
・日々の畑
この1年ほどで、食卓に畑で収穫した野菜が並ぶ日々は増えた。2026年で自然農の田畑をはじめてから10年目となる。正直なところ、10年目といっても、なかなか畑と向き合うことができない年も多く、まだまだ上手に応じることができず、充分に収穫できずに終わることの方が多いくらいかもしれない。ただ、ふと食卓に目を向けると、意外と食べれてるなーなんて思うことが増えてきた1年だったように思う。
畑の様子も写真等に収めて、インスタグラムなどに日々記録としてアップしようとおもいながらも、作業でいっぱいいっぱいで、どうしても収穫した記録や、畑の様子を記録するところにまで回らない。今年は少しずつ記録としてが写真でも残していけたらいいかなと思っていて、何かそういう記録する時間をとってもいいのかもと思っている。
この数年で自然農の情報もYouTubeを中心に多くなってきた。そういった情報を集めながら畑の実践に生かそうしているけれど、その情報にとらわれすぎていたりして、自分自身で調べなおしたり、畑で感じて、感じたままにやってみる姿勢が失われているのではないか?と感じることが多くなった。というのも、自然農という不耕起のやり方でやるということは、その土地の気候風土に影響されることが多いし、その畑の状況をまず第一に見極めることを前提としなければいけない。しかし、目の前にある畑の今を「みること、かんじること」よりも、「知ったこと、聞いたこと」が前提となってしまう。もちろん、必要な情報もあるのだけれど、その情報が自分自身の「感じ方」にどう影響しているのか、自分自身で見張らなければいけないように思う。結局、畑に立った時、草を刈った方がいいのか、刈らない方がいいのか?そういう判断を、考えずとも、すっと体が動いて対応できれば、作物はよく育つ。そんな対応が毎回できればいいのだけれど、なかなかうまくはいかない。けれど、そうやって自然と体が動くと作業もスムーズだし、作物も良く育っているし、その姿をみると嬉しいし。そういう 今 を少しでも過ごせたらと思う。それは、自分の幅を広げていくしかないのだとおもう。うまくいかない日々の積み重ねが、その幅を広げてくれると信じて、できないなりにもやっていきたい。でも、、何より、畑に立っている時間がやはりとても楽しいので、自分の幅が広がるとか、広がらないとか関係なく、楽しいことは変わりない。とも思う。
前項に書いたように、気候変動のスピードもすさまじく、特に秋の栽培がうまくいかずに、今年はどうしようか、まだ今も答えが出ない状態である。昨年の夏野菜は、かなり遅めの種まきにして、なかなか長期間にわたって収穫できた。今年は、夏野菜の第二弾の種まきを計画し、秋が短い分、夏野菜をもう少し長く収穫できるように工夫してみたり、蒲原と両河内の気候の差もうまく使いながら2か所の畑を楽しみたいと思っている。
・12月前半から夜の時間ができてきた
昨年の12月の前半から、次男の夜間授乳がなくなったため、まとまって寝てくれるようになった。寝るのがとてもうまくなった。これまでは、子どもを寝かしつけながら一緒に寝てしまったり、子どもが眠りについてから起きたとしても、疲れて何もやる気がおきなかったり、子どもがまた泣いて起きて作業が中断されるのは嫌だな。とか思ったりすることが多かった。こうして記事を書いたり、映画をみたり、本を読んだり、唯ちゃんと話す時間をつくることが難しかった数年を過ごしてきたように感じる。だけれど、この昨年の12月前半から、すこしそういった時間を取れるようになってきていて、今まで停滞していたことや、向き合えなかったことに向き合える時間と気力が生まれてきた面もあるように思う。そういった意味でも今年はまたこの数年とは少し変わった流れが生まれてくるように感じている。
